湾岸WITメルマガ 2009/8/6━━┛ ☆☆☆ 8月。 今年も平和を考える月がやってきました。 皆さんこんばんは。 ニコちゃんです。 **** 稽古場に遊びに来ませんか? 夏休みの間、ちょっとさびしくなるので、稽古場が賑わってくれるととても嬉しいです。 毎週日曜日、18:30〜21:15まで、門前仲町の富岡区民館でやってます。 「ちょっと寄ってみるか」 ↓ 詳しくはメールか電話で メールフォームへ ※※いやーん※※ **** ■4 演劇とは何か? 何のためにあるのか? はじめに、おたよりの紹介。 **** 自分は、毎日キャベツをつまみにビールを飲むのが、最高の幸せ。 だから、キャベツ畑を見るのが好きなんですよ。 キャベツ畑、食べる人はいい人だろう。 キャベツ畑、作った人もいい人だろう。 そう、自分の中では、キャベツ畑とWITがイコールかな。 それと、宮沢賢治の『農民芸術家概論』とてんこさんが重なるんですよ。 毎日、子どもに稽古付けてもらっていますよ、なんて平気で言われたら、 参りましたとしか言いようがありません。 **** ありがとうございます。 キャベツの美味しさ、実は大人になるまであまりわからなかった。 白菜よりレタスより、匂いがあるし、どちらかと言うと使いづらい食材でした。 ↑ この認識こそが、知らなかったって証明ですが(笑) キャベツがすごく美味いんだって気づいたのは、広島でお好み焼きを食べてから。 じっくり蒸されたキャベツが、甘くてやわらかくて、でも独特の歯ごたえがあって… 「キャベツってこんななんだ…」って。 さて、本題に戻ります。 演劇とは何か。 mixiの演劇関係のコミュとか見ても、 「芸術か娯楽か」 「お客様の満足が、どうたら」って話ばっかりで、 「え?何の商売の話?」 思わず目を疑ってしまいました。 求めている答はその中には見つからず。 「演劇は、運動である。」 私はそう認識している。 それが人々に警鐘を鳴らすものであれ、 世の理不尽を告発するものであれ、 新しい世界を築いていこう!というものであれ、 収穫祝であれ、 伝統を継承するものであれ、 村おこし、町おこしであれ、 演劇・芝居というものは、 今までも、そしてこれからも、運動であると。 「運動とは」 平たく言うとどういうことか? 「運動」というと、カッコつきで語られる、ごく一部の組織的なものを連想しがちで、 多くの人はそれで引いてしまいがちだが、 本来限られた狭いものではなく、私たち人間が誰でも関われることである。 「運動とは、運命を動かしていくことである。」 私たち自身や、住む街や国や職場、などなどの運命を、自分の手でつかんでいくことだ。 人々を意のままに操りたい金や権力を持つ偉い奴らは、 そんなことされまくるのは嬉しくない。 だから、何かにかこつけて、規制を加えたり、変質させたり、 提灯持ちに仕立てようと手を伸ばしてくるが、 負けないぜ! 「演劇の果たすべき役割って何だ?」 人間が人間であり続けること、 あるいはそれを取り戻すこと、 そのために演劇はある。 私が生まれてくる前、日本に戦争があった。 この国を、二度と戦争にしてはならない。 わが町を、二度と戦火に晒してはならない。 人々を、未来を背負う子どもたちを、二度と戦場に送ってはならない。 そういった思いの中から、戦後の演劇は出発したはずだ。 忘れてはならないことだ。 私たちの住む日本は、民衆が自ら独立や民主化を勝ち取った国ではない。 だから常に誰かが、意識して声を上げていかないと、強い者に絡め取られてしまう。 戦争が起きるのは、それで儲かる奴がいるからだ。 そいつらに煽られて、踊らされてはいけない。 今や金の亡者たちは世界中を荒らし尽くし、 その収奪の波は日本にまで襲い掛かり、 地方から都市へ、都市からどこの国かもわからない闇へ、 われらの血と汗と涙を吸い上げていく。 人々をただ希望なく漕ぎ続け、疲れて休めば棄てられるラットレースに追い立てる。 不満が溜まり、絞る血がなくなってくれば、敵意を煽り立て、戦に希望を持たせようとする。 だが俺たちの運命は俺たちが動かしていく! 演劇はそのためにある。 キャベツの味わいを知るように、 美味しい食べ方を皆で出し合おうじゃないか!! 次号に続きます。 おたよりください。 ↓ メールフォームへ ☆━☆━☆━☆ 湾岸WITメルマガ 発行)劇団W.I.T. http://3w.to/wit