湾岸WITメルマガ 2009/7/15━━┛ ☆☆☆ 「テレビを見ていて疲れませんか? 劇場にも同じものを求めますか?」 こんにちは、 ニコちゃんです。 一昨日は稽古場で、ガーギーの誕生会をしました。 何年か振りに、毛布ブランコなんてやりました。 レクゲームやレクソングのサイトやコミュニティを見ていると、 「なぁんだ、ウチでやってるネタって、こういうところで使えるんじゃん」 って素直に思う。 というわけで、今日は語りの2日目。 ■2 「うぃっとの芝居で大切にしたいこと」の前に 〜最近の小劇場を観て思うこと〜 by しなやかしなちゃん@うぃっとのボス こんな私でも、他の劇団の芝居を観に行くこともある。 年に数回ぐらいかな? 招待券とかじゃなくて、チラシで見たり、折り込み行って、 ピンと来て、予約して…って感じで。 ジャンルは特に絞ってるわけじゃないけど、 100人規模ぐらいの小劇場で、結成数年から10年ほどのところが多い。 →そう、ある程度劇団のカラーもメンバー的にも落ち着いてきた頃にあたる。 全然違う劇団を見てるはずなのに、 不思議とある共通性を感じたりする。 ○まずはいいところ。 受付から客席につくまでの流れやサービスがとても行き届いている。 人の配置はもちろん、パンフや案内表示や開演までの時間のインフォメーションなど、 どこかのお店に来たみたいだ。 それがたまたま1つの劇団ではなく、 結構共通してある水準のサービスが見られるので、 この10年の間に、この面での小劇団の商業化はかなり進んだように思える。 制作の体制がしっかりしてるのだろう。 よく練られたマニュアルは確実にあるだろう。 もしかして共通の? 実はチェーン化が進んでるとか?? そう思わせるくらい。 #開演時刻を過ぎると受付から人が消えて、ドアに「そのままお入りください」が貼ってある、 どこかの劇団W.I.T.とは大違いである。 ●次に、好みによって分かれるが、 私にとっては物足りないところ・息が詰まるところ。 ・役者の動きと、明かりや音の位置やタイミングが、ピッタリ合う! ・ダンスや集団の動きが、やたらきれい。 「え?それっていいところじゃ」??? →あ、だから、 「好みで分かれる」って書きました。 でも正直、 そういう芝居ばっかりになっちゃったら、うーん…どうなんだろうなぁ〜って、思うわけだ。 まるでキッチリ時間で測ってその通りに、譜面通りにキッチリ動き、はまるのだ。 いや、 実際そんな感じの稽古の仕上げ方をしてるのだろう。 あたしにゃあ真似できない。 耐えられないわ。 ↓ 「そんなお前、 何が不満なんだ」? 端的に言おう。 「タメ」がない。 あそびがない。 ノークッションなのだ。 息が詰まるのだ。 「こいつ次何するだろうな」 ってワクワク感を、 呼吸の合間に、 させてくれないのだ。 確かに動きも 台詞も 衣装もセットも 明かりも音も、 きれいで、 ピッタリで、 一見何の不快もなさそうだ。 まるでアニメかゲームの映像を見てるようだ。 だが、 それって家で画面で見るのとどう違うんだ??? わざわざ生身の役者が劇場でやる意味がどれだけあるんだ? わからない。 今はこういうものがうける、 あるいは標準なんだと言われるかもしれないが、 そう言われたとしても、 わからない。 どんなに振り付けがきれいでも、 「だから何?」 私などはテレビがついてると、 その音声だけで疲れたりする。 パッケージされた 一定の効果を狙ったコンテンツが、 モノと情報の洪水が、 より効率的に、 隙間を許さずに、 流れ込んでくる、 (グダグダ感までも、「そういうテイストのコンテンツとして」強調されて) だから感受性が鈍ってなければ、 疲れるのは当たり前だ。 そう思う。 劇場に来てまで、 そんな思いをしたくない!! だが街を歩くと、 今や雑多なはずの大都会までもが、 「どこの郊外だよ。 俺ら若い頃は、こういう街のつくりって、半端な田舎のダサイところだったんだぜ」 ってくらい、 同じようなチェーン店が並ぶ風景ばかりになってきている。 おそるべきグローバル化、「国道16号線化現象」である。 小劇場までも、 16号線化の波は避けられないのか? 私はそれを、とても危惧している。 −−−−−− というわけで、前段は終わり。 次回はいよいよ、 「うぃっとはそうではない何を大切にしていくのか」という話。 次号、今度こそ、 ■3 「うぃっとの芝居で、大切にしたいこと」 へ続く。 おたよりください↓ メールフォームへ ☆━☆━☆━☆ 湾岸WITメルマガ 発行)劇団W.I.T. http://3w.to/wit